撮影した人
軍艦島取材 1992年 池島炭鉱閉山取材 2001年 軍艦島取材 1992年
柿田清英。1950年、長崎県、高島町生まれ。県立高島高校を卒業後、
エレクトロニクスのエンジニアとして、また特許担当員として
関東および関西方面で働く。28歳のとき故郷の高島へ戻り、
閉山までの7年間高島炭鉱で働く。写真は独学。スタートは水中写真。
閉山の半年前から水中写真以外の被写体にも目を向けるようになり、
以後3年間激動期の高島を撮影。その後、石炭の島「池島」の撮影を開始。
軍艦島(端島)の撮影は池島撮影より数年遅れのスタートだったが、
10ヶ月程で質、量ともに満足できる内容を確保。1993年10月25日、
軍艦島写真集「崩れゆく記憶」を出版。
その後取材対象であった池島炭鉱で働くようになったが、およそ7年後、
日本の戦後復興を地底から支えた石炭産業が終焉を迎え、14年に渡る炭鉱労働を終了。
2003年より軍艦島取材を再スタートし、100回以上上陸取材。
接近する台風を待ち受けて軍艦島の中から撮ったことが何回もあるが、より危険で公開不可能なものも撮影し現在に至る。
他に、弱電機器の自作歴40年以上。10代のころはラジオやアンプ、無線機を何台も自作。
テレビなど家電品修理、水中ストロボ、スタジオ用ストロボ、露光タイマー、
現像タイマー他、軍艦島撮影に有効な機器も各種自作。仕事用に、自作パソコン3台使用。
台風撮影の為、高島-軍艦島間を泳いで往復したこともある。
時事通信社のカメラマンの一人と20年以上の交友。
イタリア人報道カメラマンのMassimo Bersani氏とも親交が続いている。
aas
写真展
2005年 3月、イタリアにて写真展
「Ikeshima」
開催。
2005年 7月、イタリアのボッビオ市にて写真展「Ikeshima」開催。
2005年11月、長崎県長崎市KTNギャラリー4人展に参加。
イタリアのボッビオ市で展示した池島の写真作品を展示。
2005年11月、長崎県長崎市茂里町ブリックホールにてグループ展
terzo occhioの仲間・18人展に参加。池島の写真作品を展示。
2007年 2月、長崎県長崎市コクラヤギャラリーにて写真展「池島」を開催。
2007年 3月、福岡県立美術館「世界の写真家展in福岡」に参加。
(11カ国34名の写真家の作品展)池島と軍艦島の写真作品を展示。
2008年11月、東京・富士フイルムフォトサロン「世界の写真家展in東京」。
(6カ国19名の写真家の作品展)軍艦島の写真作品を展示。
2009年10月、長崎市フォトプラザGENTOにて写真展「軍艦島」を開催。
写真集
1993年10月、軍艦島写真集
「崩れゆく記憶」出版。
2007年 4月、軍艦島写真集「GUNKANJIMA Part 1」発売開始。
2008年12月、軍艦島写真集「GUNKANJIMA Part 2」発売開始。
2008年12月、軍艦島写真集「GUNKANJIMA Part 3」発売開始。
2008年12月、軍艦島写真集「GUNKANJIMA Part 4」発売開始。
朝日新聞連載記事より
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から
「闇に浮かぶ独立国家」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から
「父親の腕頼もしく」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から
「にぎわった運動会」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から
「閉山予感し、記録決意」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から
「表情に悲壮感なし」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から
「島との別れ淡々と」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から
「窓の明かりに閉山実感」
西日本新聞より
国策
「誇りだけは奪えない」
軍艦島と台風
動画「2004年撮影・台風15号、16号、18号」
動画「2006年撮影・台風13号」
丸秘情報
軍艦島上陸作戦その1
軍艦島上陸作戦その2
軍艦島上陸作戦その3
軍艦島番外編
池島炭鉱内丸秘動画
・・
思い出
軍艦島初上陸の日
日比谷鉄棒クラブ
体操教室指導員
西蒲田の子供達
川崎体育館
???????
池島
戻る
高島