撮影した人

柿田清英。1950年、長崎県、高島町生まれ。県立高島高校を卒業後、 エレクトロニクスのエンジニアとして、また特許担当員として 関東および関西方面で働く。28歳のとき故郷の高島へ戻り、 閉山までの7年間高島炭鉱で働く。写真は独学。スタートは水中写真。 閉山の半年前から水中写真以外の被写体にも目を向けるようになり、 以後3年間激動期の高島を撮影。その後海に浮かぶ石炭の島、池島の撮影を開始する。 軍艦島(端島)の撮影は池島撮影より数年遅れのスタートだったが、 10ヶ月程で質、量ともに満足できる内容を確保出来たため写真集出版を考えるに至る。 出版までには1年を要したが、1993年10月25日、軍艦島写真集「崩れゆく記憶」の出版にこぎつける。 その後取材対象であった池島炭鉱で働くようになったが、 およそ7年後、日本の戦後復興を地底から支えた石炭産業が終焉を迎え、14年に渡る炭鉱労働を終了。
中学、高校時代は器械体操部に所属。そのため池島と高島では「体操兄ちゃん」と呼ばれていた。 池島の場合はどちらかというと「てっちゃん」と呼ばれる方が多かった。 他に弱電機器の自作歴40年。10代のころはラジオやアンプ、無線機を何台も自作、テレビ修理も経験。 その後も水中ストロボ、スタジオ用ストロボ、露光タイマー、現像タイマー他いろいろな機器を設計、 自作。撮影の為、高島-軍艦島間を泳いで往復した経験がある。

写真展

2005年3月、イタリアにて写真展 「Ikeshima」 開催。
2005年7月、イタリアのボッビオ市にて写真展「Ikeshima」開催。
2005年11月、長崎県長崎市KTNギャラリー4人展に参加。
      イタリアのボッビオ市で 展示した写真作品を展示。

2005年11月、長崎県長崎市茂里町ブリックホールにてグループ展
      terzo occhioの仲間・18人展に参加。池島の写真作品を展示。

2007年2月、長崎県長崎市コクラヤギャラリーにて写真展「池島」を開催。
2007年3月、福岡県立美術館「 世界の写真家展in福岡」に参加。
      (11カ国34名の写真家の作品展)池島と軍艦島の写真作品を展示。

2008年11月、東京・富士フイルムフォトサロン「 世界の写真家展in東京」。(準備中)
         (6カ国18名の写真家の作品展)軍艦島の写真作品を展示予定。



写真集

1993年10月、軍艦島写真集 崩れゆく記憶出版。

2007年4月、軍艦島デジタル写真集「GUNKANJIMA Part 1」発売開始。



朝日新聞連載記事より

連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から 「闇に浮かぶ独立国家」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から 「父親の腕頼もしく」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から 「にぎわった運動会」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から 「閉山予感し、記録決意」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から 「表情に悲壮感なし」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から 「島との別れ淡々と」
連載 山の記憶 炭坑マンが撮った池島から 「窓の明かりに閉山実感」


西日本新聞より

国策 「誇りだけは奪えない」

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