第一見学所から見える風景を画像処理しています。


はじめに

軍艦島は、その独特の威容が人々を引き付けますが、元は海底深く眠る 石炭を掘り出して栄えた島です。 住宅街は、今も当時の面影を止めていますが、無人島になって以降、 島の中は静寂に包まれています。 炭鉱の施設は閉山後に解体撤去されたものが多いので、鉱業所跡の現在の 姿からは、炭鉱だったことも当時の様子も感じることが困難になっています。 島が生きていた当時の生活風景は、写真集や軍艦島紹介サイト、 テレビの特集などで一部知ることは可能ですが、現実に軍艦島へ上陸して も、当時の喧騒や生活の息吹を感じることは困難でした。 長崎には、軍艦島と同様に石炭で繁栄を横臥し、最終的には閉山への軌跡を 辿った「高島」や「池島」が存在しますが、現在の軍艦島では撮影不可能な ものを記録している関係から、当サイトの中で池島と高島も紹介しております。 軍艦島と単純に比較するのは多少問題があるかも知れませんが、同じ石炭の 島であることを考慮すれば、廃墟風景だけでは想像困難な部分も幾らかは補足 出来ると思います。 池島の場合は、炭鉱が閉山して間もない為、炭鉱の施設などは今も当時の姿を 止めています。また、島は寂れても石炭の島として繁栄した当時の面影を 感じ取る事が今でも充分に可能です。 高島の場合は、石炭発見以降105年もの間石炭を掘り続けた歴史があった のですが、炭鉱町として繁栄した当時の面影は完全に無くなっています。 炭鉱閉山後に辿った道のりは、池島、高島、軍艦島それぞれに多少の違いは ありますが、池島と高島のページを参照して頂くことで、軍艦島のありし日の 姿も幾らかは想像する手掛かりになると思います。 最盛期には、日本に800はあったと言われた炭鉱ですが、多くの町が高島と 同じ様な道を辿っています。 軍艦島の様に住宅街が当時のままにほぼ完全な姿で残っている状況は奇跡に近く、 住宅街が残る池島も何時かは殺風景な姿になる可能性があります。 炭鉱の施設や炭鉱町の風景も貴重な存在になっている昨今、池島を訪問される ことは、軍艦島上陸観光をされる際にもプラスになると思います。 高島には、炭鉱があった当時の面影はありませんが、閉山がもたらす変化を感じ 取れる場になると思います。また、軍艦島の姿も間近に見ることが可能ですので、 高島訪問もお勧めです。

軍艦島との関わり

私は昭和25年に長崎県の高島町で生まれ、軍艦島(端島)を間近に見ることができる 双子地区で幼少期を過ごしています。炭鉱住宅から道路を隔てた堤防を登ると左前方 沖合いに軍艦島を見ることができました。
アパートが密集林立した異様な姿の海上都市が広い海原にぽつんと浮かんでいる様は 何と表現すれば良いのか、ずっと以前から存在していた古代都市、あるいは忽然と現 れた未来都市でも見ているかのような何とも不思議な存在でした。
端島も高島も石炭を産出することで発展した炭鉱町。石炭は端島も高島の場合も海面 下数百メートルの地底から掘り出されていました。初めて軍艦島(端島)に行ったのは 小学校5.6年生のころでした。当時高島では鉱員社宅用の鉄筋コンクリート製アパー トが次々と建てられていましたが、ほとんどが4階建て、あるいは6階建てでした。 ところが軍艦島へ行ってみるといきなり9階建てのアパートが目に入りとても驚いた ものでした。
驚いたことといえば、緑無き島と聞いていたのにアパートの屋上には緑いっぱいの畑 が広がっていたこと、洗濯物がいっぱい干されていたこと、テレビアンテナが無数に 立っていたこと、アパートとアパートとの間隔が非常に狭かったこと、人がいっぱい だったこと、アパートの中腹から別のアパートへ移動できたこと、島の裏側にはプー ルがあったこと、トンネルを通ったこと、上陸するとき小船に乗り移り、梯子を登っ て上陸したことなど、驚きがいっぱいの島でした。
高校時代はアマチュア無線をやっていたこともあって、端島(軍艦島)の同級生と無線 連絡を取り合っていたこともありました。

元住民が書き残したと思われるメッセージ

思い出の数々を残して本日4月17日端島を去ります 軍艦島よさようなら。
永らくお世話になりました1974 4月 さようなら。
昭和18年より現在の日(昭和49年)拾数年間お世話になりました。
さよなら端島 愛する端島よ。
苦しみも楽しみも悲しみの中に明.大.昭の幕閉じる、あーなつかしの島、軍艦島よさようなら。
お世話になりました さようなら端島鉱。
みなさまお世話にお世話になりました お元気で また会う日を楽しみに。
夜が又来る静かな夜が、あのにぎやかさは何処へ。
端島、今でも心の故郷。
楽しかった島の生活、目を閉じれば親しき友..今はただ遠..昔..

上陸観光の問題点

軍艦島上陸観光がスタートして半年。当初想定した2倍近い観光客が押し寄せるなど、軍艦島は人気の観光地になっていますが、果たしてその人気が何時まで続くものか・・。観光客の多くは遠方から訪れるツアー客ですが、折角上陸しても見て廻れる範囲は200m程と短く、安全確保の為とは言え遠過ぎるとも思える位置からしか見学出来ない場所さえ存在します。一番の見応え風景である住宅街には近づくことすら出来ないのが現実で、現在の上陸観光のあり方には大きな問題を感じています。護岸の上を一周するコースが実現出来れば、住宅街へ足を踏み入れなくとも高い満足感が得られるとは思うのですが、実現は難しい様です。島の高台に建つ神社まで行くことが出来れば、島の魅力の多くを一度に見ることも可能なのですが、その神社まで観光客を安全に誘導できる経路がありません。旧島民が使用した通路や階段は現存しますが、利用するには危険過ぎるからです。建造物の風化は確実に進んでいます。建築から100年近い30号棟の風化は凄まじく、既に20世帯分の居住空間が崩落で消滅しています。現状を見る限り、今後10年以内に屋上を含み、外観が大きく変わる可能性が高いと感じています。今は、繁栄した時代の面影も残る軍艦島ですが、巨石文明とは比較にならない風化の速さが気になるところでもあります。恐らく、200-300年後には島に残る建物の殆どが面影も止めない瓦礫の山に変わっていると思われます。費用の問題や産業文化遺産登録へ向けての理由から、遊歩道を延ばし、人が立ち入れる範囲を拡大する考えは無いとのことですが、多くの人が間近に見る機会も無く、瓦礫の山に変わる時を待ち続けると言うのもおかしな話に感じます。リピーター確保は重要な課題ではありますが、現在の状況が続く限り二度目の来訪を期待するのは難しいと思います。安全確保が重要なことは言うまでもありませんが、行き過ぎの感が否めません。遊歩道整備など、そもそも必要無かったと思うのですが・・。整備したお陰で、見応えの風景が台無しになっている姿は言葉にならないものがあります。観光客の要望、廃墟ファンの気持ちと役所との考え方には大きな開きがあります。このままでは、軍艦島上陸観光の人気も、長くは続かないのではと思ってしまうのですが・・。

軍艦島の概略

正式な名称は長崎県長崎市高島町字端島。 長崎港から18.5qの海上にあり、総面積0.1平方キロメートル、東西160m、 南北480m、周囲わずかに1.2kmの人工の島。
1810年に石炭を発見。戦艦「土佐」に似ていたので、「軍艦島」の異名を持つ。 戦時中はこの島に砲台があったと記録されている。
この炭鉱は1890年に三菱の所有となり、以後80有余年の長きに渡り、石炭の 採掘を行った。最深部は1100mまであり、50度から60度の傾斜の炭層を採掘 した。
この島の人口は最も多い時で5200人を越え、当時東京の人口密度の約10倍と までいわれる超過蜜居住の島であった。閉山するまでにかなり人口は減ったが、閉山 直前でさえ2200人がこの島で生活していた。
1974年1月15日、鉱命終了により閉山し、3ヶ月後には無人の島になる。




軍艦島クルーズ

1.長崎、大波止港から観光船 マルベージャー
  軍艦島クルーズの最大手。現在は冬場も含み、周年運行しています。
  日曜日や休日、穏やかな天気の日はほぼ間違いなく出航しています。
  予約が少ない時は出航しないので事前の確認が必要です。
  問い合わせは ヤマサ海運 TEL 095-824-0088 または 095-822-5002。
  FAX 095-822-5243

2.長崎の野母半島野ノ串。長崎市内より25分。恵比寿丸
  問い合わせは TEL 095-894-2039 携帯090-8225-8107

3. 長崎の香焼港。長崎市内より25分。美津丸
  TEL:095-871-4060 FAX:095-871-6604 携帯:090-3190-5061


リンク紹介

軍艦島(端島)紹介サイトの中でも特に内容の濃いサイトです。

1.軍艦島オデッセイ  Oプロジェクト黒沢氏の手による軍艦島紹介サイト。  内容が充実しており、とにかく物凄い情報量で軍艦島を紹介している。  氏の軍艦島に対する思い入れの深さが伝わって来る。

2. 想像と記憶 軍艦島の百貨辞典とも言える存在。当時の島の様子が分かる貴重な写真が豊富。

3.軍艦島を世界遺産にする会 軍艦島を世界遺産にすることを目的として活動するNPO法人のホームページ。軍艦島(端島)の元住民、 坂本道徳氏が代表を務めており、会の活動内容や最新の情報などを発信している。

鉱山・廃墟廃屋関連サイト

1.足尾研究会  鉱山研究会で活動され、足尾に通われている鉱山大好きの方で、「閉山三日前の三井三池炭鉱」 などの写真集も出されておられます。

2. HEYANEKO 廃村と過疎の風景を記録しておられる方で、 廃校廃村 全県制覇を目標に活動されています。


自己紹介

管理人ページ 柿田清英、59歳。 平成6年6月1日より閉山日まで池島炭鉱で掘進作業員として働いていました。 池島に居たころは社宅、57棟の32に住んでいました。 詳細は左画像をクリック。
as
戻る
当サイトはリンクフリーです。自由にリンクを張って下さい。

http://ippatsu.net/ROBO/