軍艦島へ、20年ぶりの故郷訪問
このページの写真は端島炭鉱閉山から20年目を機に、
故郷端島を訪問された一家族を取材したときのものです。
1994年1月31日、瀬渡し船「ひろさち丸」で高島港を出港、10分後に端島へ到着。
端島へ上陸して最初に感じるのは、人の気配が感じられない不気味なまでの静けさです。
この静けさに加え、変わり果てた姿の校舎や病院、学校のグラウンドなどが視界に飛び込んで来ます。
全員押し黙ったように立ち止まり、しばしの間見つめていました。
その後、学校の校舎を通り抜け、島内を一巡しましたが、
その慣れた足取りは、彼らがこの端島で生活していたことを証明するに充分なものでした。
また、65号棟の通路が暗いことが分かっていたのか懐中電灯を持参していたのにはとても驚きました。
65号棟の自宅を訪れたとき、台所や埃を被ったタンスなどをしんみりと見つめていましたが、
ここで生活していた当時の事がいろいろと思い出されたのでしょう。
傍目には何も無い空の室内に見えましたが、彼らにとっては思い出が一杯詰まった場所、
懐かしの我が家だということが良く分かりました。
端島炭鉱の坑夫だったご主人は暗い通路の壁の奥まった所の物置を探っておられましたが、
その中から愛用のツルハシを探し出され、「わしのツルハシがあったよー」と懐かしそうに手にされ、
大事そうに持ち帰られました。
また、おなじ場所を探っていた子供達は、「爺ちゃんの道具箱があったよ」と、
長い歳月を経ても無事に残っていた思い出の品に感動し、懐かしがっていました。
また、65号棟の屋上に行ったときのことですが、
当時子供だった娘さんが自宅の方向を向き、少し体を乗り出すと、
昔を懐かしむかのように「おかあさん、ご飯まだー」と当時の様子を自ら演じていただき、
旧端島島民の生活の様子の一端を直に見たような感動を憶えました。
また、思い出多い端島を後にするとき、
無人の端島にいつまでも手を振り続けておられた姿には特に感銘を覚えました。