多い時は5000名を超える住民が居住した軍艦島ですが、海が荒れるとこの様な状況にもなりました。大荒れの日が続いた時は、島の食料が底をつき、深刻な状況になったとも言われています。
日没前に撮影していますが、絶海に浮かぶ無人の廃墟島は何とも味わい深く、今の時代にも現存していることが不思議な程に圧倒的な存在感を感じます。
小さな島の中に密集して建つアパート群は見応え充分で、軍艦島の特徴を良く現しています。この軍艦島、元は小さな島だったのですが、周囲を護岸で囲み内部を埋め立てて土地を造成。その上に無数のアパート群を乗せたとも言える造りになっています。この為、護岸はこの島の生命線とも言える存在です。
軍艦島は映像の宝島でもありました。探す程に見応え風景を無数掘り出すことが出来ました。
夜の軍艦島も、独特の味わいがありました。ただ、釣りの名所でもあるので、夜釣りする釣り人と出会うことが時々ありました。
日本で始めて建てられたコンクリートアパートは造りが独特で、味わい深さは最高のものがありました。しかし、建築から90年を過ぎて傷みが激しく、複数の居住空間が丸ごと崩落消滅。人が立ち入るには危険過ぎる建物に変貌しています。
軍艦島にも学校や幼稚園がありました。この建物は小学校と中学校兼用の校舎で、最上階には講堂、屋上には増築された教室が続いていました。今も現存する校舎ですが、その基礎部分は3分の2が剥き出しの為、何時倒壊しても不思議はない状態です。
30号棟とも呼ばれた建物は、外見からも傷みの酷さが分かります。正面内部は、7階から1階まで居室丸ごと抜け落ちていて、不気味な大空間が広がっていました。
アパート屋上から撮影していますが、島の中に所狭しと建てられた建築群の姿・島の姿が良く分かります。
この島には映画館やお寺もありましたが、大型台風接近時に全壊。海水がなだれ込んだ時には、人の背丈に迫る海水で溢れました。
この建物は65号棟とも呼ばれ、この島では一番大きな建物でした。屋上には幼稚園があり、地下には理髪店や食料倉庫などがありました。
軍艦島は海底から石炭を掘り出す海上鉱山島でもありましたが、炭鉱操業時には地底に動力用圧縮空気や通気用の空気を送る専用の大型施設が存在しました。
コンクリート地肌剥き出しの住宅街は独特な雰囲気に満ちていました。建物の下には大きな空間が広がっており、公衆浴場や商店などが入っていました。また、海がひどく時化たとき大量の潮を被ることが多かったので、潮降街とも呼ばれていました。
日給住宅とも呼ばれたアパートで撮影していますが、大正・昭和時代の雰囲気が残っていました。しばらく佇んでいると、古い時代にタイムスリップした感覚にもなりました。
島に人が溢れていた時代には、屋上にも仮設住居が建て増しされました。しかし傷みも早く、風化した残骸が地上に大量落下。生活道路上には無数の瓦礫が散乱していました。
一見すると一個の巨大建築に見えますが、通路で5つのアパートを連結した独特の造りになっています。隣接するアパート間を空中に張り出した通路で結ぶ造りも存在し、屋上緑化の先駆けとも言えるものが現存しているなど、今でも、当時最先端の様式を見ることが出来ます。
無人島になって30年を過ぎたこの島は風化が激しく、通行するにも危険過ぎる箇所が無数存在しました。傷みの状況は目視で判断できることが多いのですが、以前行き来したことのある通路や空間が抜け落ちたり埋まったりする状況も見て来ており、島の魅力とは裏腹に超危険空間そのものでもありました。
アパートとアパートの間隔は狭く、地上に近い階では日中でも薄暗い状況が存在しました。余りの暗さに耐えかねたのか、住居によってはハイパワーの照明具(200W電球を取り付けた室内灯)が当時の姿のままに残っていました。
アパート屋上は絶好の展望所でもありました。天気の良い日には、気持ちが良い程に美しい風景を見ることが出来、雨の日も味わい深い風景を堪能することが出来ました。
アパート屋上には、公園や農園として使用された痕跡がしっかり残っていました。今は雑草が茂る巨大廃墟の無人島ではありますが、近年は観光地として内部が整備され、一般の方も気軽に上陸観光できる様になりました。但し、島の奥部に入って観光することまでは出来ないので、島の魅力を存分に味わうには特殊な手段、あるいは裏ルートを使用するしかないのが実情です。
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