軍艦島の撮影記録を始めたのは、1991年の秋でした。本当は、池島写真集を作る練習のつもりで始めたことだったのですが、約1年間真剣に取り組んだお陰で写真集を構成するに充分な内容を撮ることが出来ました。出版までには時間が掛かりましたが、1993年秋に軍艦島写真集「崩れゆく記憶」の出版に漕ぎ着けることが出来ました。その後、池島炭鉱で働く様になってからは軍艦島を思い出すことも殆どなくなりましたが、7年後に池島炭鉱が閉山。高島へ戻った後、運命に導かれる様に軍艦島の撮影記録を始めました。

軍艦島は、高島から目と鼻の先に浮かぶ見応えの孤島ですが、撮れるものは10年前に撮り切ったと言う思いがありましたので、高島に戻って以降1年間は軍艦島のことを気に留める事もありませんでした。しかし、2003年の春、非常に穏やかな海を見ている内に、軍艦島へ行って見たいと言う衝動が湧き上がって来ました。目の前に浮かぶその島はその後どう変化しているのだろうか・・。懐かしさもありましたが、確認したくなりました。

無人島になって以降、軍艦島は上陸禁止の島になっていましたが、軍艦島が高島町の所有になって以降上陸規制がより厳しくなり、上陸の為の船をチャーターすることさえ出来なくなっていました。仕方なく、家に在ったゴムボートを引き出し、オールを漕いで軍艦島へ渡ることにしました。以下、撮影日誌に記録した内容を紹介します。



2003年5月3日、 ゴムボート(ビニールボート)を使用し、軍艦島へ向かう。撮れるものがあるのかどうか、継続して撮り続けることになるのかさえも分からないまま初日にしてテントと寝袋を運ぶ。海の水は冷たく途中沈没の可能性もあったので、ウエットスーツを着用。最悪の時には泳いででも戻れる様に足ひれや水中マスクも積んで行った。天気が良かったこともあり、釣り人や釣り船の姿は多かったが、気にせず軍艦島を目指した。

空は晴れ渡り、波も無かったので、周囲の風景を楽しみながら軍艦島へ向かう。それにしても手こぎボートはスピードが出ない。遥か先に見える軍艦島へ近づいている実感が殆ど無かった。不安を感じる状況ではあったが、オールを漕いだ時間から進んだ距離と現在位置を想像。途中、中ノ島の500m程手前で小休止、記念写真を撮った。

汗ばむ日差しの中、オールを漕ぐこと約1時間、軍艦島まで約200メートルの所まで接近した。過去に幾度となく訪れた島だが、見慣れた姿ではあっても間近に見える所まで来るとほっとした。記念写真を数枚撮影した後、軍艦島へ向かう。

この付近はとても浅いので、海底の様子が良く見えた。ゆっくりオールを漕ぎながら上陸地点を目指したが、上陸地点の護岸や階段には無数の牡蠣が存在。うっかり引っ掛けてしまうと泳いで戻ることにもなりかねず、慎重に上陸。波が穏やかだったこともあり、ビニールボートを傷付けずにすんだ。軍艦島上陸後、ウエットスーツとスリッパ姿のまま、島内の変化を駆け足で見て廻る。

途中、助手を連れたプロのカメラマンと、完全に釣り目的で上陸している人々などと出会う。後で知ったことだが、助手を連れたプロのカメラマンは彼の有名な廃墟写真家の小林伸一郎氏で、10日間通って撮影。今日が撮影最終日とのことだった。

護岸の上にカメラバッグや釣りざおを持った旅人が居たので話しを聞くと、撮影目的で福岡から来たとのこと。小さな釣竿は言い訳のために持参したとのことで、ついでに記念写真を撮って頂いた。

海は半日もすればその状況が変わることも多く、風で流され易いゴムボートで行く時は長居できず。天候変化の早さも考え、上陸から数時間後には軍艦島を後にした。

2003年5月5日、 撮影機材を運ぶ目的もあり、ゴムボートを使用し再び軍艦島へ行く。今回は左右2本のオールを金属製の継ぎ手で一本に繋いで出発。継ぎ手の淵にバリが残っていたのかボートの生地を途中で裂いてしまい沈没。暫くオールを漕いでは見たが、船体が折れてVの字になると全く進まなくなった。仕方なく泳ぐ準備を整え、水没したボートを引いて中ノ島へ上陸。春先はまだ水が冷たかったが、ウエットスーツを着用していたお陰で寒さは感じず。ゴムボートの沈没は想定の範囲内だったことと、沖合いでの遊泳は慣れていたので混乱することは全く無し。ボート本体は、中ノ島上陸後に放棄し、再出発地点である島の裏側まで歩いて移動。再出発地点には釣り人がいたが、軍艦島まで泳いで渡るのは初めてではないと告げ、軽く挨拶をした後再出発。

ボートには、F601と20−35ミリのズーム、三脚、水3.6リッター、フィルムなどを積んでいたが、この荷物も泳いで運ぶことにした。軍艦島まで20分の予定だったが、5分余計に掛かってしまった。泳いで渡るのは久しぶりだったが疲れは全く無く、時間も充分あったのでゆっくりと島の中を見て廻ることが出来た。軍艦島上陸は約10年ぶりだったが、面白いように絵になるものの発見が続く。その後、ネオパンFで10本撮影。機材は軍艦島の中に隠し、撮影済みのフィルムだけを持ち帰ることにした。帰りは当然のことながら泳いで戻ることになった。10年程以前には67分で戻れたので不安は全く無かったが、今回は潮流の影響を受けたのか、90分も掛かってしまった。

2003年6月5日、 軍艦島までの行き来にゴムボートを使用するのは現実的ではないため、アクアスクーターを軍艦島への行き来の手段に決定。最初の10時間は高速運転しないよう注意書きがあったので、中速で運転。それでも、軍艦島までは40分程で行くことが出来た。残念ながら当日は電池を持って行くのを忘れた為に撮影出来ず、悔しさを噛み締めながら引き返す結果になった。

アクアスクーターは牽引力が強いので、10分間も掴ったままでいると手がだるくなった。片手を離すとバランスが崩れる問題があったので、アクアスクーター本体と体を繋ぐ仕組みを考える。以後、片手運転が可能になり、しっかり掴まる必要も無くなったことで、軍艦島までの行き来が楽になった。

2003年6月22日、 アクアスクーターで軍艦島へ渡る。 HR2を5本、RVP3本撮影。

2003年6月29日、 アクアスクーターで軍艦島へ渡る。アクアスクーターは使う度に出力が落ち、回転も不安定になっている。原因はキャブレター部のねじの緩みの様だが、爪では回らない程度に固かったので、小型のねじ回しを持っていくようにした。凪の時は、軍艦島への行き来に水中マスクを着けて行く必要を感じなかったが、エンジントラブルを起こした時や、海中の状況を見る場合も多いので、必ず着けた状態で行く様にした。荒れの日は、正面から波を受けことが多くなったので、水中マスク以外にもスノーケルが必要不可欠。途中でエンジンが動かなくなった場合も考え、足ひれも履いて行く。高島-軍艦島間は遊漁船が行き来する海域でもあるため、バックミラーを取り付けた。

当日はうねりが大きく、上陸はタイミングを良く見る必要があった。上陸は出来たものの、直後に左方向から大波を受けてアクアスクーターと水中眼鏡を流してしまった。上陸地点周囲は水泡が激しかったので水中眼鏡の回収は諦め、アクアスクーターだけを回収して上陸した。

当日はミニコピーHR-2を7本、ネオパンFを2本、テクニカルパン2415を1本撮影。コンパクトデジカメでは80枚ほど撮影。14ミリレンズも多用。上陸する度に今まで気付かなかった被写体の存在に気付くことが多くなった。写真集の中で使えそうなものも多数撮れたが、現時点で編集作業中の作品の中には盛り込めなくなった。結果、第3作目以降に使用することに決定。残念なのは、フイルム押さえに付着したゴミが全てのカットに写っていて使えず、次回以降に撮り直す結果になった。

防水袋は強度が低いので、強度のある袋に入れて袋の口を2回縛ると水はほとんど浸入しないことが判明。10年ぶりに30号棟を調査したが、その内部は炭鉱の地底世界と変わらない危険な状況と改めて実感した。

2003年7月8日、 アクアスクーターで軍艦島へ渡る。エンジン出力低下気味。振動による影響か・・。

2003年8月1日、 アクアスクーターで軍艦島へ渡る。HR-2を4本。RVPを7本撮影。水1.35リットル飲むが、暑さでバテてしまった。水道配管の大きな塩ビパイプを防水ケースに加工し、カーボン三脚を運んだ。

2003年8月6日-9日、 アクアスクーターで軍艦島へ渡る。台風15号を軍艦島内部から撮影する為に上陸したが、大きく逸れたので、台風らしい映像は撮ることが出来なかった。

2003年9月20日、 アクアスクーターで軍艦島へ渡る。台風15号が大きく逸れることは分かっていたが、台風らしいカットが撮れればと僅かな期待を込め、軍艦島へ渡った。早朝4時に起きて暗いうちに出発し、明るくなるころに軍艦島へ着く予定で行動したが、出発場所のテトラポットの中に足ひれを落とし発見出来ず、自宅まで取りに戻っている内に夜が明けてしまった。今回の台風、同じようなコースを辿ったものを過去にも経験していたので期待していなかったが結果想像通りになった。当日はRVPを5本、HR-2を5本撮影した。

この島にはネズミが居るようだ。前線基地に隠していた食料の一部に被害が出ていた。マヨネーズやインスタント味噌汁の包装が食い破られていた。あったはずのソーセージも消えていた。したがって、食料の保管場所をより安全な場所へ移動するとともに、頑丈な容器に入れるなどの対策を取った。

島内部から台風を撮影する計画は、台風が来るタイミングとハローワークへ行くタイミングが合致し、肝心なとき軍艦島上陸を果たすことが出来なかった。涙を飲んだその2回の台風は高島から見て本当に悔しくなる程の高波(端島の標高を超える)を打ち上げていた。9月も終わりに近づき、今年の台風撮影はこれで終わりになる可能性が出て来た。

2003年9月21日、午後1時ころまで撮影。台風らしい映像は撮れそうにないので、高島へ戻ろうかと考える。台風15号は相当遠ざかっている筈なのに時化は一向に収まりそうに無い。学校グラウンドの護岸の上から海を見るとサーフィンが出来る程の波が走っている。うねりも凄い。以前にもひどいうねりの中を行ったことはあるが、今回は前回の比ではない。波が収まる明日まで待っても良かったが、この荒波の中を一度経験してみたいとの考えもあり、15時40分に出発。

50mほど行った付近から物すごい荒波を経験することになった。風が強く、飛沫が水中マスクに激しく当たり、前方の様子が分かり難かった。左前方から襲い掛かる様に高波が走って来る。波に飲まれないようにアクアスクーターを操作。時にはアクアスクーターを持ち上げなければならない状況の時もあった。最頂部をやり過ごすと、うねりの底部へと落ちて行く。そんなことを数え切れないほど繰り返し、高島へ向かう。不思議なことに恐怖感は全く無かった。アクアスクーターを使わずとも泳いで戻る自信はあったし、シュノーケリングが得意だった為かも知れない。もう一度やれと言われれば実行可能な程の自信が付いた。

途中幾度となく海水を飲むハプニングはあったが、シュノーケルの排水弁ユニットが脱落していた為だった。シュノーケルとしての機能はまともではなかったものの、付けていない時より幾らかましだった。次回からは排水弁が無い、シンプルなJ型シュノーケルを使うように決定。船が転覆してもおかしくない程の時化だったが、40分で高島の出発地点へ戻ることが出来た。

2003年10月1日、 アクアスクーターで軍艦島へ渡る。水温はそれ程下がっていないが、気温が低くなり、少しの風でも寒く感じる様になった。本日は今年の最後の撮影活動。午後、撮影機材をより安全な場所に隠し、水中ビデオカメラは持ち帰ることにした。運搬途中で水中ビデオカメラの防水ガラスを破損、ハウジング内部へ海水が入らないように注意しながら持ち帰る。

途中、警備艇に発見され、進行方向真正面から直進してきたが、問題ない事が分かったのか直前で進路を変更。何事もなかったかの様に走り去って行った。無事に高島へ上陸し振り返ってみると、小型の遊漁船が私の行動を監視していたかのようにすぐ後ろに待機していた。北朝鮮工作員にでも見えたのだろうか...。ともあれ今年最後の軍艦島行きになった。今年はRVPを34本、Fを18本、HR-2を41本撮影した。